青山に在りを読んで

『青山に在り』篠綾子著を読んで

 

歴史青春小説はおもしろい

歴史青春小説というジャンルの

小説はおもしろい。

まず登場人物が純粋である。

現代と異なり世界が狭く情報が少ないので

自分の身の回りのことに全力である。

 

そして生き方が決まっている。

生まれたときから将来の階級が決まり、

結婚相手まで決まっている。

その決められた生き方を受け入れながら

その制約の中で自分のできる領域を

広げようと懸命に生きている。

 

今と比べると圧倒的に生きづらい時代を

一生懸命もがく姿を見ると、

自分もまだまだ頑張らなければと思う。

 

『青山に在り』

『青山に在り』は、

運命の巡り合わせにより

まったく異なる生き方になってしまった

青年二人と、

親との死別に会いながらも

明るく強く生きる女性一人、

三人の物語である。

 

家老を父親に持つ青年は、

国中から尊敬されている父親の教えのもと

今いる場所で懸命に尊く生きていた。

その後、親子に恨みを持つ武士が登場し

青年と武士が対決をすることになった。

 

大まかなあらすじは上記の通りです。

 

①尊く生きる、懸命に生きるとは?

家老である父親も青年二人も女性一人も

みんな自分の居場所が

自分の生きる場所だと信じ、

尊く、懸命に生きていた。

一方で、

青年の側からすると、恨みを持つ武士は

尊く生きていないように見える。

でもそれは、どの立場から見るか

という問題であって、

武士の立場から見れば、

武士の生き方も充分に尊い

 

立ち位置の違いによる尊さの違い。

青年には分からなかった。

恨みを持つ武士は最後に分かった。

家老である父親は最初から分かっていた。

 

この分かる時期の違いが

人生経験の違いなのかもしれない。

 

②己の生きる道

人は赤ん坊の時は

自分のことしか主張しない。

当たり前である。

小学校低学年でも

自分のことにしか興味がない。

大きくなるにつれて

家族や友だち、恋人のことを意識する。

 

青春時代が貴重なのは、

損得勘定を抜きにして

自分のこと、友だちのこと、恋人のことに

夢中になれるからである。

己の生きる道を懸命に生きている。

 

ではそんな経験をした大人はどうか?

不思議なことだが、

大人になると自分の欲だけのために

生きていく人が多くなる。

周りを欺いたり、蹴落としたり。

自分がより良くなるために

周りを利用する人が目につく。

でもそんな生き方も、

立ち位置を変えてみれば、

己の生きる道を

懸命に生きているのかもしれない。

 

では「己」とはなにか?

もちろん自分のことである。

しかしこの小説においては

自分一人だけのことを指してはいない。

友だちや恋人、家族といった

誰か一人のためでもない。

 

自分に関係する全ての人がより良く生きる。

これが己の生きる道だと伝えている。

そして、そのような生き方が青春である。

 

③日向、日陰はない

今いる場所で懸命に生きる。

武士の時代において今いる場所は

変えることのできない場所である。

職業選択の自由もなければ

住居の自由もない。

生まれた時から生きる道が決まっている。

 

そんな不自由な時代に

日陰の人間だから引いて生きよう、

日向の人間にやっかみを持つという考えは

自分の人生を

つまらなくしてしまうだけである。

 

遠慮せず、卑屈にならず

今いる場所を懸命に生きる。

それが尊く生きるということである。

 

このように歴史青春小説は

たくさんの気付きを与えてくれる。

今を生きるテクニックではなく

生き方を学ぶことができる。

 


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NFL2019シーズンを振り返る


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NFL2019年シーズンをチーム別

獲得yd、喪失ydから振り返りました。

アメフトは数字を細かく記録し、

TV中継でもたくさんの記録が紹介されます。

 

今回は、

NFL.JAPAN」のHPから

チームごとの獲得ydを横軸に

喪失ydを縦軸にして一覧表を作りました。

エクセルで作ったので見にくいですが、、

 

私は小学5年生の時アメフトに出会い、

そこから30年以上NFLを見て、

大学時代はアメフト部に所属していました。

ただ、NFLを見るといっても

週に一度のNHKBSによる放送のみです。

なので詳しくは分析できませんが、

私なりに思ったことを書きます。

 

カウボーイズは記録は良いが勝敗には結びつかなかった

攻撃1位、守備8位とyd数だけを見ると突出して高いが、8勝8敗でNFC東地区2位でプレーオフの進出を逃した。

 

ペイトリオッツは守備のチーム

ペイトリオッツといえば、移籍してしまったがブレイディを中心に手堅い攻撃力で負けないチームという印象が強かった。

しかし記録を見ると守備1位に対して攻撃は15位と平均値しか出していない。

ペイトリオッツが負けない理由は、コツコツとゲインするオフェンスのおかげではなく、積極的なマンツーマンを使うCBなどディフェンスの力だった。

 

③チーフスの攻撃力は思ったほど突出していない

スーパーボウルを制覇したチーフスは攻撃6位と思ったほど突出していない。マホームズがシーズン中にひざのケガで離脱していたこともありそう。

スーパーボウル進出のチーフスと49ers

チーフスは攻撃6位、守備17位に対して

49ersは攻撃4位、守備2位と

圧倒的に49ersが優位。

それでもチーフスが勝ったのはマホームズ率いるオフェンスの爆発力か?

 

④ディフェンスが強いチームの方がプレーオフに進出している

攻撃上位5チーム中プレーオフに進出したチームは2チーム。

対して守備上位5チーム中プレーオフに進出したチームは4チーム。

ディフェンス重視のチームの方が結果は良い。テキサンズが唯一、守備下位チーム(28位)ながら地区優勝した。

J.Jワットという有名なDLがいてもチームとしてのディフェンス力が低いのは意外だった。

そのテキサンズプレーオフ初戦のビルズには22-19で勝利した。ビルズは攻撃力が弱い(24位)なので19点に抑えることができた。

しかし次のチーフス戦は31-51で完敗した。チーフスは6位のオフェンス力なのでどうしようもなかった。

また優勝したチーフスは守備17位と平均以下である。それでも優勝したのは特徴的な別の要素が必要ということか。

安定した成績を残すにはディフェンス力。

優勝するにはそれ以上の何かが必要ということだろう。

 

パッカーズは攻撃・守備とも平均以下だがNFC決勝まで進む

パッカーズは攻撃・守備ともに18位と平均以下だが、NFCチャンピオンシップまで進んだ。数字には表れないチーム力があったのかもしれない。

プレーオフシーホークス戦は28-23と僅差の勝利である。アメフトというコンタクトスポーツにおいて、接戦を勝ちきるのというのは、スタッフや控えメンバーも含めたチームの総合力が高いということだろう。

 

 

以上、獲得・喪失ydから気がついたことをまとめました。

実際はターンオーバーや守備による得点、キックによるフィールドポジションなど、いろいろな要素が勝敗につながるので獲得・喪失ydだけでまとめることはできません。

ただ、ひとつの見方としてまとめてみました。間違いや認識不足はご了承下さい。

コンビニ人間 村田沙耶香を読んで

とても読みやすい表現で、

さらさらと読むことができる。

しかし読み終わって、

自分が生きてきた今までに対して

深く考えてしまった。

 

自分は自分が思っていた通りの人生を

歩んできたのだろうか?

我慢してきたのではないか?

周りの目を

気にしてばかりいたのではないか?

そしてこの思いは自分だけでなく

楽しそうにしているあの人も

同じ気持ちではないのか?

様々なことを考えてしまった。

 

現代社会を生きるとは、

レールを踏み外せない。

レールを踏み外したら終わり。

 

みんな目に見えないレールの上を

踏み外さないように

何が正解かも分からないなか、

用心深く歩いている。

 

みんながレールの正解は分からないのに

レールという存在は確実にある。

この矛盾に悩みたくないならば、

レールの上を歩くしかない。

 

さらに自分の歩くレールが正しいと

なかば強引に認めるために、

レールから外れた人を白い目で見る。

レールから外れた人を

否定することによって

自分を正当化する。

 

今の世の中は、

目に見えないレールに縛られて

生きているということである。

 

多様性、それぞれの価値観を認める

と声高に叫ぶ現在。

一方で、

総中流社会、画一的だった高度成長期。

 

高度成長期は

世の中全体は画一的だった。

でも学校には優等生がいて、

スポーツ万能な人がいて、

おもしろい人がいて不良もいる。

働き方も

サラリーマンがいれば

工場勤務もあれば、農業を営む人もいる。

個々においてはたくさんの生き方があった。

 

では現代はどうか?

多様化と言われるが、

学校では

勉強ができるかどうかで評価される。

仕事も新卒で大手企業に

正社員で入れるかが見られる。

個々においては選択肢が減ってしまった。

 

どちらが生きるうえで幸せなのだろうか?

自分の幸せを求めると、

レールを踏み外したと見なされ、

自分の好きなことが

できなくなってしまう現代。

 

そんな今の時代を、

時代の象徴であるコンビニで表現する

この小説は深いなと思う。

 

当たり前の存在である

コンビニのほとんどは

レールの上を歩く人で運営されている。

でもそれだけではない。

誰かの自分らしさを求めた生き方、

その対象がコンビニだったという人が

自分の通うコンビニにもいるかもしれない。

 

レールの境界線は誰も分からない

ということを気づかされる小説だった。
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トップの決断は早く

迷う、悩む、考える。

人間だから当然である。

先のことは誰も分からない。

 

不安、自信がない、失敗への恐れ。

自分の決断によって

組織が誤った方向に進むかもしれない。

その重圧は相当なものだ。

 

しかし、

分からないから決断しない、

重圧から逃れるために決断しないのは

トップとしての責任放棄である。

 

あのとき決断をしなかったことが良かった

ということもまれにはある。

ただしそれはまれである。

しかもそのまれの大部分は

責任逃れをごまかすための

後付けであることが多い。

多くの場合は、

そのときに決断しなければならない。

 

決断ができないために、

責任を逃れるために、

トップが「もう少し調べてみろ」とか

「もう少し様子を見る」という

指示を出すことがある。

しかし、

それ以上様子を見ても状況は変わらない。

決断の選択を迫られたときが、

そのタイミングなのである。

もしかすると、最適なタイミングは

もっと前だったということもある。

だから今すぐに決断しなければならない。

 

では決断を早くするための訓練は

どうするか?

 

①想像力を広げる

いつもいろいろなことを考える。

仕事以外のことも考える。

自分だったらこうするなと想像する。

こういう意図でこのサービスはあるのだな

と想像する。

そうすることで、どんなことが起きても

想定内の出来事にしてしまう。

 

②深い知識を身につける

まずは自分の仕事に関する知識をつける。

起きたこと、出てきたデータに対して

さまざまな角度から、そして深く分析する。

また読書やセミナーへの参加などで

深い考えに接する機会を増やす。

 

③すぐに決断するくせをつける

定食屋さんでの注文のメニュー、

居酒屋でのおつまみのメニュー、

休日の予定を決めるなど、

私生活における決断の場で

すぐに決めるくせをつける。

 

決断をすることで前に進む。

想定と違う方向に進むことも

あるかもしれない。

しかし、決断をしたことにより

組織は動き出す。

動いているならば

仮に想定と違う方向に進んでいても

修正するだけで難しくはない。

修正のための決断をすればよい。

 

一歩目を動かすことがもっとも力がいる。

一歩目を踏み出せるのは決断のみである。

正しいことを伝えても相手に伝わるとは限らない

上からの立場で物事を言う人、

教えてやっているという態度で

話しかけてくる人、

正論を振りかざす人。

 

世の中には一定数の割合で

このような人がいる。

話を聞いてもうんざりする。

時間の無駄だなと思う。

 

その人たちの言っていることは

間違いではない。

 

ただ、世の中はすべて裏表である。

すべてが正しく、

すべてが間違っている。

 

どの角度から、

どの立ち位置から見るかで、

受ける印象は大きく変わる。

 

上司と部下、

株主と会社、

男と女、

大人と子ども、、、

 

事実はひとつでも、

立場が変わると考えは変わる。

 

だからこそ、

異なる立場の人に

自分の考えを伝えるときは、

押し付けてはいけない。

決めつけてはいけない。

 

ゆっくりと時間をかけて

お互いの信頼関係を築きながら、

相手の立場を思いやって

伝えなければならない。

 

同時に、

自分の考えについても

もっと磨かなければならない。

 

短絡的な考えになっていないか、

感情的になっていないか、

自分の思考のくせはないか。

 

常に自分を振り返って、自分の考えを

高めていかなければならない。

 

相手を尊重すること。

自分を高めること。

 

このふたつが重なって初めて、

相手に自分の考えを伝えることができる。

みんなが主役であり、みんなが脇役であり、時には裏方にもなる

映画やドラマでは当たり前だが
主役が注目される。
「俳優〇〇が主役の映画が近日公開」
と宣伝される。

映画やドラマは上映時間が限られている。
なので、主役を決めて、
その人が中心の物語にしないと
話が散らかる、分かりづらい、
結果としてつまらなくなる。

しかし人生は違う。
人生は長い。
映画のように2時間では終わらない。
ドラマのように3ヶ月では終わらない。

その長い人生で
常に主役でいると疲れてしまう。
脇役を演じて主役を引き立てることも、
時には裏方になり
出演者を支えることも大切である。

脇役の演技次第で
作品の出来栄えは大きく変わる。
裏方の段取り次第で
出演者の気持ちは高まる。

脇役や裏方で認められれば
いつかまた主役を張ることができる。
そうやって世の中は
配役がぐるぐる回っている。

自分だけが主役であり続けたいと思っても
ずっとなれるほど世の中は甘くはない。
人気俳優であっても
常に主役を演じている人はいない。
昭和の映画界ならばトップスターがいて
そのスターが主役になるように
物語が書かれていた。
しかし、今の時代にそのやり方では
世間に飽きられる。
今の世の中には通用しない。

それと同じで人生においても
自分だけが主役を張っていては、
周囲の人から飽きられる。
周囲の人が離れていく。
そしてひとりぼっちになり、
何もできなくなってしまう。

積極的に脇役を楽しもう!!
貪欲に裏方で勉強しよう!!

仮想敵国をつくる考え方の功罪

何かをやりたい、

こうなりたい、

こんな組織にしたいと考える。

 

そのときに、

自分自身がこうなりたいという、

自ら沸き上がる情熱による考え方と、

あの人みたいになりたい、

あんな大企業のようになりたいという、

他者と比較して目標を設定する

考え方がある。

 

どちらの考え方も長所、短所がある。

 

・自分自身がこうありたいと思う

   長所:自ら発する情熱なので想いが強い

   短所:考えが独りよがりになることがある

 

・他者との比較

   長所:相手との比較で何をやるかが

            見えるので組み立てやすい

   短所:自分からのスタートではないので

            想いがぶれやすい

 

初期の頃は、他者と比較した方が

スムーズに進むかもしれない。

目指すべき姿が分かりやすいし、

自分と比較することができるし、

他者の強み弱みを分析しやすいからだ。

 

しかし、その考え方である程度成長し、

さらに、そのまま進んでいくと

いつか行き詰まる。

 

その理由は、

自分というアイデンティティを見失い、

常に目指す他者を

探し続けてしまうからだ。

 

そしていつの日か、

探し続ける他者の存在が

「目指そうとする理想」から、

「負かしてやろうとする敵国」に

替わってしまう。

 

そうなると、

何のための成長なのか、

何を目指しているのかが分からなくなり、

やる気が落ちてしまう。

 

「他者との比較」から

「自らの情熱」への転換点を

読み間違えないようにしたい。