楽しくないことも楽しもう

あれをやりたい。

あの人とお話しがしたい。

おいしいものを食べたい。

 

やりたいと思うことは

前向きに取り組める。

自分で調べて、計画をたてて、

予約をして。

準備までもが楽しい。

 

何でか?

楽しいと思って

前向きに取り組んでいるから。

当たり前のことかもしれない。

 

では逆だったらどうか?

やりたくないことだったらどうか?

後回しにするだろう。

気分が乗らないだろう。

憂うつな気分になるだろう。

 

何でか?

やりたくないから。

これも当たり前のことだ。

 

では、

やりたいことだけをやって

生きていくことは可能だろうか?

 

ムリだろう。

周囲の環境は様々で、

周囲のおかげで生きていける面もある。

 

やりたいことだけをやって

成長するだろうか?

 

ムリだろう。

自分の枠からはみ出すことが

できなくなる。

 

ならば、

やりたくないことも

楽しんでやってみよう。

 

どうせやらなければ前に進めない。

やってみたら想像以上に楽しかった。

やってみて、やっぱりだめだとなったら

やらなければよい。

 

そんな気持ちですべてのことを

前向きに楽しくとらえよう。

たったそれだけのことで、

きっと人生は明るくなるだろう。

後悔する時間があるのなら、今できることを全力でやろう

あれをやれば良かった。

こっちを選択すれば良かった。

何でできなかったのだろう。

 

あとになって思うこと、悩むこと、

後悔することはたくさんある。

 

しかし、

いくら悩んでも、

いくら後悔しても、

いくら過去のことに時間を使っても、

何も変わらない。

もう過去のことなのだから。

 

できることは今、

これからのことだけだ。

変えることができるのは、

これから先のことだけだ。

それをつかむのは自分次第だ。

 

人生は選択の連続だから、

失敗することもある。

後悔することもある。

落ち込むこともある。

 

もしそんな気持ちになったら、

時間を設定して

「落ち込みタイム」をつくろう。

そしてその時間が終わったら、

きれいに忘れて前を向こう。

 

今できることを全力でやろう。

何のためにやっているのかなんて考えたこともなかった

いつからだろうか。

やるかやらないかの選択をするときに、

自分にとって、

得か損かと考えるようになったのは。

 

いつからだろうか。

これをやってみたいけど、

大変そうだな、

時間がかかりそうだなと、

敬遠するようになったのは。

 

20代までは明らかに違った。

 

目の前のことに一生懸命だった。

やりたいことをとことんやった。

結果がどうなろうが関係なかった。

周りに評価されようがされまいが

どうでもよかった。

 

今、

40代、、

 

生き方がうまくなったのだろうか。

賢くなったのだろうか。

これが大人になったということだろうか。

 

もう一度、あの頃に戻ろう。

何も考えずに。

目の前のことに。

やりたいことに。

 

大丈夫。きっとできる。

自由に生きるのが一番難しい

お父さんを見て

子どものころは早く大人になりたかった。

お父さんの姿を見て、

仕事がある日は

お酒を飲んで陽気に帰宅し、

出張から帰ってくると

お土産を買ってきてくれ、

休みの日はゴルフに行き、

毎日、自由で楽しそうだなと思った。

 

小学生の自分

それに比べて小学生の自分は、

毎日決まった時間に登校して、

授業では先生の話を静かに聴いて、

一ヶ月分決められた献立の給食を食べ、

教室の掃除をする。

 

昼休みと

下校してから夕食までの時間だろうか。

好きなことをして遊べたのは。

 

サッカーをしたり、

バスケットをしたり、

缶けりをしたり。

限られた時間を友だちと目一杯遊んだ。

 

新しい遊びを考えたり、

行ったことのない場所を探検したり。

こんな時間がずっと続けば良いのに

と思っていた。

 

大人になって

いざ大人になってみると、

自由に選択できる範囲は広がった。

何をして稼ぐのか(職業選択の自由)、

どこに住むのか(住居の自由)、

何を食べるのか、

どこに旅行に行くのか、

誰と付き合うのか。

 

20代、30代

20代の頃、

すべてにおいて自由に選択できるので

とても楽しかった。

やっぱり大人になるって良いなと思った。

 

しかし時間が経過すると、

自由に選択したことの

責任を感じるようになった。

自分で選択したことの結果を

すべて受け入れなければならない。

だんだんとその責任の重さに

重圧を感じるようになった。

 

自由に生きるのは難しいな、

世の中ってシビアだなと思った。

30代の頃だろう。

 

40代

そして40代、

たくさんのことを経験して、

自由だ、重圧だなどは

考えなくなってきた。

 

とにかくやるしかない。

どんな理由があっても

自分がやるしかない。

それだけを思い行動するようになった。

 

生きるって難しいし、

だからこそおもしろい。

人生に境界線なんて存在しない

ポジティブシンキング

可能性は無限大。

若いうちにチャレンジを。

いくつになってもチャレンジを。

 

世の中では、上記のような

前向きな意見がよく聞かれる。

ポジティブシンキングという

考え方もある。

 

できない理由探し

うさんくさいな、

そうは言ってもな、

時間もお金もないし。

できない理由を探して

二の足を踏んでしまうことはよくある。

 

ギャップ

理想と現実のギャップ。

人生はこのギャップにおける

せめぎあいの連続だ。

そして多くの場合、

現実が勝つ。

 

勝つというよりも現実は負けない。

なぜならみんな現実を守りたいから。

 

現実を選択すること

もちろん誰しも生活があるので、

現実を選択することは

間違いではない。

 

しかし、現実を選択することの連続が、

自分自身の世界を

小さくしてしまっている。

自分自身で

小さな境界線を引いてしまっている。

 

どうやるか、何をやるか

今の世の中、

できないことなんて何もない。

 

とりあえずはやってみる。

 

やるかやらないかを選択することに

頭を使うのではない。

 

どうやるか、

何をやるかに頭を使った方が

自分自身を成長させる。

 

小さなことから

大きなことをやらなくてもよい。

 

嫌いなものを食べてみる。

苦手な人と食事をする。

目上の人に自分の意見を伝える。

 

何でも良いので、

小さなことから「やる選択」をして、

自分の境界線を広げていこう。

そうすれば、

新しい世界が見えてくる。

自分を安売りしない

新入社員(安売りは必要)

新入社員は社会経験が少なく、

自信がないので、

何でも言われたことを聞く。

新入社員の時から仕事を選んでいては、

自分の評価が下がるので

ある意味仕方がない。

この時期の安売りは、

ある程度必要なことである。

 

仕事の受け方

この時に受け身で対応するのではなく、

依頼されたことに対して、

依頼主に自分の言葉で

相談をする、

報告をすると、依頼主は喜ぶ。

そしてさらに、

依頼主が考えるよりも

少しだけ上の成果を出すと評価される。

 

存在価値を上げる

評価されると、さらに依頼が増え、

その依頼に対して成果を出すという

繰り返しで、信頼関係が生まれる。

これで社内における自分の存在価値を

上げることができる。

 

価値を上げた後の転換

ただ、この関係性をずっと続けていると、

ただの便利な人、

使いやすい人で終わってしまう。

いつかはこの関係性を

転換することが必要になる。

 

関係性を転換すると、

  1. 依頼ではなく相談になる
  2. 相談から協業になる
  3. 自分の思いを結果に反映できる
  4. 自分の影響力が広がる

 

その結果、

自分の仕事の領域が広がり、

様々な人や他社からも評価され、

新しい仕事を依頼される機会が増える。

挑戦できる機会が増える。

 

転換するための行動

では、関係性を転換していくために、

どのような行動を起こせばよいのだろうか?

  1. 依頼主に対して相談する内容をより具体的にする
  2. 依頼された仕事の成果に自分の思いを反映する
  3. 依頼主が想定する以上の速さで成果を出す
  4. 依頼主から依頼される前に自分から提案する

 

やり方はたくさんある。

その機会を常にうかがい、

時期を逃さないように注意する。

 

自分の価値は自分で上げる

自分の価値は

自分でしか守ることはできないし、

上げることはなおさら自分しかできない。

 

自分の価値を上げる努力を怠らないことが

社会人には必要な能力である。

安売りをしていても、

ただの安い人間で終わってしまう。

食わず嫌いは人生において損

子どもの頃、親に

「好き嫌いをせずに何でも食べなさい」

と言われた。

私はニンジンの甘さが苦手だった。

さらに、ザーサイは見た目が

おいしくなさそうだったので、

食べることもしなかった。

 

しかし、いつからかは覚えていないが、

何でも食べるようになった。

嫌いな食べ物はと聞かれても、

「特にない」と答えるようになった。

 

親が言っていた何でも食べなさいは、

バランス良く栄養を取るため

だったのだろう。

 

しかし、大人になって気がついたことは

まったく異なる。

 

食べ物くらいで選り好みしているようでは、

人生において大切なチャンスを

見逃すことになるのでは。

ということである。

 

その意味は、

世に出回っている食べ物ならば、

安心・安全であることは間違いない。

そして、その食べ物が好きな人がいるから

世に出回っている。

 

だから、

どんな食べ物を選んでも、

お腹を壊すことはないし、

味も悪くはない。

 

ということは、

食べ物を選択することは、

もっともリスクの少ない選択をしている。

このノーリスクの選択に

二の足を踏んだり、

弱腰になっていては、

リスクのある人生における

選択をすることは難しい。

 

人生においてチャンスは毎日、

山のように転がっている。

もちろんリスクを含んでいるが。

 

まず、そのチャンスに気がつくか。

そして、一歩前に踏み出すか。

しかも前向きな気持ちで。

 

これができれば、

そのチャンスをほぼ掴みとったも

同然である。

 

一度試してから

好き嫌いを判断しても遅くはない。

仕事や日々の生活において、

二の足を踏んでしまう人は、

まず、好き嫌いなく何でも食べるという

習慣を身につけることから

はじめてみよう。